What's oldies?





オールディーズとは?

オールディーズと呼ばれる音楽を、どの年代までと定義するのは難しい。読んで字のごとく、と定義するのであれば、今の若い方達にとっては、70年代、80年代でも、ある意味、十分”オールディーズ”とも言えよう。また、店名に正式に明記してはいなくても、”オールディーズ”のバンド演奏を行っているライブハウス(KENTO‘S等)も、現在ではディスコミュージックを取り入れている店舗も少なくない。こういった意味でも、10年前のオールディーズと、今のオールディーズでは、持つ意味が変わってきているのかもしれない。

だがあえて、このページでは50年代中ごろから、60年代までとしたい。やはり、誰が何と言おうと、オールディーズと言えば、この年代だと言いたい。50年代といえば、Rock‘n Rollが誕生した年代でもあり、その流れは60年代中ごろに登場したビートルズをもって、一応の終焉を見るような気がする。この年代は、現在のアルバム重視のヒットチャートとは対照的に、シングルヒットがもてはやされた時代であり、様々なアーティスト達が綺羅星のように存在した時代でもある。その様々な個性的なアーティストと、数々のヒット曲がオールディーズの最大の魅力ではないだろうか。


人物伝 Jerry Lee Lwis


名 前:ジェリー・リー・ルイス
誕生年:1935年
出生地:ルイジアナ州フェリデイ
ジェリーリールイスは、この時代、ピアノ奏者として成功した数少ない一人だった。当時の主流は、もっぱらギターであり、ステージで動き回ることの出来ないピアノ奏者を、多くのプロデューサーが敬遠していた。彼がデビューしたサンレコードのサム・フィリップスもそれを理由に容易に契約に応じなかったと言う。
彼が、サンレコードと最初にかわした最初の契約は、歌手ではなく、スタジオバンドのピアノ奏者としてということからも、その難しさが想像できる。彼がデビューのきっかけを掴んだのは、カールパーキンスのレコーディング中に、彼が鼻歌で歌った「マイ・ブルー・ヘヴン」を、サムが耳にし、レコーディングさせる気になったのだと言う。デビュー曲は、「クレイジーアームス」でそれなりにヒットしたようだ。その後、彼の代表曲である「ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーイン・オン」、「グレート・ボールズ・オブ・ファイヤ(火の玉ロック)」「ブレスレス」「ハイスクール・コンフィデンシャル」と立て続けに、ヒットチャートの上位に上がる作品を作り出し、トップスターの座を手にした。彼の特徴には、「パンピン(跳ねる)ピアノ」という奏法のほかに、ステージ上でのパフォーマンスが上げられる。彼は、ピアノ奏者として始めて、椅子を蹴飛ばし立ち上がって演奏し、ピアノに飛び乗って歌い、極めつけは、演奏後にグランドピアノを焼いてしまうということまでやってのけた。その個性的なステージパフォーマンスが、彼の魅力の一つだと思う。
だが、彼の人生は、急な坂を一気に駆け上り、その勢いのまま下り坂を転がり落ちるように一転して、転落へと向かってゆく。その原因は、彼の結婚にあった。彼は学生時代から、3回結婚していた。その3回目の結婚相手が、又従妹で13歳のマイラ・ゲイルだった。13歳の少女でしかも又従妹との結婚は、彼の出身地である南部の田舎町では一般的であったが、彼が遠征に行ったイギリスでは不道徳以外の何物でもなかった。この事件を期に、彼の人気は急速に落ち、音楽界から完全に消えたかに見えた。
だが、彼はカントリーミュージシャンとして60年代後半に復活し、70歳を越えた今でも現役として活躍している。
彼のドキュメンタリービデオ「ジェリーリールイス(火の玉ロック)」の最後に、「死後の名声に興味は無い。今にしがみついていたい」とコメントしているのが、過去の栄光に囚われず、常に現役であり続けている彼の全てを表現しており、僕はとても好きだ。
デニス・クエイドの主演で、彼の伝記映画「グレートボールズオブファイア」がある。また、昨年12月に最新アルバム「ラストマンスタンディング」を発表し
健在ぶりを示している。

〜ライブハウスで聴ける、ジェリー・リーの曲〜
火の玉ロック[ダンス:ツイスト]


人物伝 Little Richard


名 前:リトル・リチャード
誕生年:1932年
出生地:ジョージア州メイコン
彼を表現するのに、もっとも適した言葉は、「狂乱」「陶酔」であろう。いったい何処で息継ぎをすればいいのだろうかと思える、絶叫で構成された曲の数々。僕が彼の姿をはじめて見たのは、「ロック映像年鑑」というビデオの中の彼だった。曲は確か「ルシール」。グランドピアノの前に立ち、ジェリー・リー・ルイスほどではないにしても、まるで叩きつけるようにピアノを弾きながら、あの大きな双眸をさらに大きく見開いて歌う彼の姿は、「いっている」という表現がぴったり当てはまるものだった。

彼は、1951年にスペシャルティ・レコードと契約したが、すぐには売れず、1955年の「トゥッティ・フルッティ」が彼の最初のヒット曲であり、なんと50万枚も売れたと言う。この曲の原曲は、彼の上司への非難と嘲笑だったと言うからおもしろい。その後も「のっぽのサリー」「リップ・イット・アップ」「グッド・ゴーリー・ミス・モーリー」「レディ・テディ」「ジェニ・ジェニ」とヒットを飛ばしたが、1959年に突然音楽業界から身を引いてしまう。ちょうどこの頃は、エルヴィスが兵役で軍隊に入り、ジェリーが結婚問題で失墜し、チャック・ベリーが薬物問題で、監獄に入るなど、ロックンロールのスター達が、姿を消したときでもあり、ロックンロールの一つの時代が終わる原因の一つでもあった。
彼が音楽業界を去ったのは、信仰のためだった。1959年、オーストラリアのツアー中に、人工衛星スプートニクが流星のように飛ぶのを見た彼は、それを神の啓示だと思った。「今の罪深い行いを改めなければ、地獄の業火に焼かれるだろう」と言われていると感じたのだ。忽然と姿を消した彼は、60年代、アラバマ州の教会で、牧師になっていた。だが、60年代後半にはふたたび音楽活動を再開し、現在も現役で活躍しているようだ。92年には、日本のギタリスト高中正義との競演アルバムを発表、また、ジェリー・リー・ルイスの'06年のアルバム「ラストマンスタンディング」にも参加し、健在振りを示している。

〜ライブハウスで聴ける、リトル・リチャードの曲〜
ジェニジェニ[ダンス:ツイスト]
のっぽのサリー[ダンス:ツイスト]
トゥティ・フルッティ[ダンス:ツイスト]


人物伝 Bill Haley


名 前:ビル・ヘイリー
誕生年:1925年
出生地:ミシガン州ハイランドパーク
ロックンロールは、この曲をもって始まったとされる、”ロック・アラウンド・ザ・クロック”を歌っていたのが、このビル・ヘイリー。この曲がヒットしたのは、55年の映画「暴力教室」の主題歌に使われた事がきっかけだった。実をいえば、この曲、世に送り出されたのは54年。だが、このときは全く売れなかったそうだ。この曲は、彼に幸福と不幸をもたらす事となった。幸福とはもちろん彼自身をスターダムにのし上げた事であり、不幸とは、その後この曲を超えるヒットが無かったために、彼は生涯この曲を背負って生きてゆく羽目になったのである。
彼は10歳の頃にはギターを弾くほど音楽に慣れ親しんでいたが、その反面ひどく恥ずかしがり屋だったそうだ。その為、彼が人前でギターを弾く事は稀で、その才能は埋もれてしまうかに見えた。だが、彼のギターを耳にした彼の上司が一計を案じた。彼にギターを弾かせ、それを隠しマイクを通じて町中の人に聞かせたのである。その事がきっかけとなり、町中の人から励まされたビルは、やがてプロデビューを果たすのである。
だが、先述したとおり、映画の主題歌という追い風を受けた大ヒット曲以外は、彼に華々しい栄光は訪れず、70年代にアルコール中毒、そして81年に脳腫瘍を患い、それが元でこの世を去った。


〜ライブハウスで聴ける、ビル・ヘイリーの曲〜
ロック・アラウンド・ザ・クロック[ダンス:ツイスト]
シェイク・ラットル・アンド・ロール[ダンス:ツイスト]


人物伝 Chuck Berry


名 前:チャックベリー
誕生年:1927年
出生地:カリフォルニア州
「チャック・ベリーこそロックンロールのハートだ」
ロック偉人伝の著者であるデイビット・ダルトンとレニー・ケイは同書にそう記している。僕もそれを読んだ時、まさにそうだと感じた。ライブハウスで、またCDで耳にする彼の楽曲は、どれも僕らの心を高揚させ、これこそがロックンロールであると、実感させられるからだ。
彼は55年に、彼が愛聴していたブルース・グループのウォーターズの紹介で、シカゴの小レーベル、チェス・レコードからデビューしている。すでに28歳だから、そう若いとはいえない。
デビュー曲「メイベリーン」は、当時の偉大なDJであるアラン・フリードと、ラス・フラートの協力もあり、R&BチャートのNo.1となり、さらにC&Wのチャートにも登場し、白人の聴衆をも惹きつけたのだった。
彼は59年に逮捕されるまでに、「スクール・デイズ」「スウィート・リトル・シックスティーン」「メンフィス」「ロックンロール・ミュージック」「ジョニー・B・グッド」「ロールオーバー・ベートーベン」などのヒット曲を世に送り出した。
逮捕され、音楽業界から姿を消してもなお、彼は他のミュージシャンに影響を与え続けた。白人の4人組ビーチ・ボーイズが、「スウィート・リトル・シックスティーン」のメロディーをフューチャーした「サーフィンUSA]で初の全米ヒットを獲得したのを皮切りに、誰もが彼の作品を取り上げ、録音した。アメリカのミュージシャンだけに止まらず、ビートルズをはじめとするイギリスのミュージシャンも彼の曲を取り上げ、ロックの伝説として崇められるほどだった。
彼は今なお健在で、彼の公式ウェブサイト THE OFFICIAL SITE OF CHUCK BERRYがある。ただし、当然英文だ。


〜ライブハウスで聴ける、チャック・ベリーの曲〜
ジョニー・B・グッド[ダンス:ツイスト]
ロックンロール・ミュージック[ダンス:ツイスト]
ロールオーヴァーベートーベン[ダンス:ツイスト]



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